「意図せざる結果の法則」翻訳

池田信夫氏に取り上げられた、NYタイムズ記事をざっくり翻訳してみた。ところどころ怪しいが、まあ大意はとれるものと思う。

Unintended Consequences
By STEPHEN J. DUBNER and STEVEN D. LEVITT
Published: January 20, 2008

http://www.nytimes.com/glogin?URI=http://www.nytimes.com/2008/01/20/magazine/20wwln-freak-t.html&OQ=_rQ3D1&OP=53403265Q2Fz4MQ7CztmQ51qJmmQ26Q5BzQ5BAA_zAxzQ5BAzbQ5C0Q5CQ27Q5ErMzQ5BA44Ir@1JMQ5CP@Q26Q2BcQ26bI

「意図せざる結果」

ステファン・ダブナー、スティーブン・レビット
2008年1月20日

今日から1年後、新しい大統領がホワイトハウス入りを果たすだろう。この大統領はいくつもの政策を実現したくてうずうずしているにちがいない -- 弱者救済政策もふくめて。そりゃそうだろう、弱者に援助の手を伸べることこそ、大統領職の特権と責務なのだから。

しかし、政策をかかげて先にすすむ前に、新しい大統領 -- 彼であれ、彼女であれ、-- は、すこし自問自答をしてみたほうがいいだろう:

ロサンゼルスに住む耳の不自由な女性と、靴を作っていた紀元1世紀のユダヤ人と、そしてホオジロシマアカゲラには、どんな共通点があるのだろうか?

数か月前のことだ。ロサンゼルスの一流整形外科医アンドルー・ブルックス氏の職場に、新規患者からの電話が入った。患者は膝に障害をもっており、そのうえ耳が聞こえなかった。彼女は、耳が聞こえないとご迷惑かしら、とブルックス氏に尋ねた。彼は助手を通じて、いや、問題無いですよ、と答えた。膝のモデルとか、解剖図とか、メモを使えば病状を話し合うことができるでしょう。

その後、彼女がもう一度電話をかけてきて「手話通訳」を使ってほしいと申し出た。いいでしょう、とブルックスはうなずき、助手に手配をさせた。驚いたことに、通訳を雇うと1時間で120ドルかかり、最低は2時間から、そして費用は保険によってカバーされないことがわかった! なんで自分でこれをはらわなきゃいけないんだ、とブルックスはいぶかしんだ。単に初見の検査だけで240ドルとられて、そのうち女性の入っている保険だと58ドルしかカバーされない、ということは(税引き前、経費抜きで)180ドルの損になるということだ。

だからブルックスは、患者に通訳無しでやりましょうと申し出た。ところが、ここで初めて彼女はブルックスにこう告げた:アメリカ障害者差別禁止法(ADA: Americans With Disabilities Act)によると、患者はどのような手段を使って通訳をするか決定し、その費用を医者持ちとすることができると定めていると。ブルックスはびっくりした。自分で法律を調べてみると、たしかにその通り、患者の言う通りにしなくてはいけないことがわかった -- 負けるのを承知で訴訟の場に持ち込む以外には。

もし彼女の膝を手術することになっていたら、ブルックスのかぶる費用は1200ドルに上っていただろう。しかもその後、8回は経過診察をしなくてはならず、そのたびに240ドルを手話通訳に払うことになる。治療が終わったときには真っ赤っかもいいところだ。

彼は腹をくくって、自腹で通訳をやとい、彼女を診察した。幸いなことに彼女には物理療法で十分で、手術は不要だった。めでたしめでたし、すべての人にとって明るい結末が訪れた -- もちろん、次回から通訳への支払いをすることになる物理療法士を除けばね。

ブルックスは同僚や友人の医師にこの耳の不自由な患者の話をした。「みんな口をそろえて『もし自分がそんな電話をこういった境遇の人からうけたら、もう絶対に診療しないね』と言っていたよ。」 だからブルックスは、ADAには知られざる暗黒面があるのではないかと思うようになった。「こういう話って、表にでないままに広がっているんじゃないかな。だって医者はもう絞りに絞られているんだから。だから彼女みたいな人は、はっきりしない言い訳でもってタライ回しにされ、そのくせなぜ医者が自分を診ようとしないのか、まったく分からないはめになるんじゃないだろうか。」

つまり、まさに救おうとしている患者当人を、ADAが追いつめることがあるかもしれないとうことか? 利用可能な資料だけでは、これは答えるのが難しい問題だ。しかし、経済学者のダロン・アセモグルとジョシュア・アングリストは、これと似たような質問を問いかけたことがある:ADAによって、障害者の雇用にどのような影響が出たのか?

結論はびっくりするもので、ブルックスの予感を裏付けるものだった。ふたりの調査によると、ADAが制定された1992年には、障害を持つ労働者の雇用ががくっと減ったという。なぜこのようなことが? 雇用主のほうが、もしかしたら一度雇った障害を持つ社員が不適格だった場合に、馘首することが難しくなるだろうと考えて、最初っから雇わないことにしたのだ。

「善いことをしよう」という法律が逆効果となるのは、最近のことだけなのだろうか? 7年ごとの「安息の年(sabbatical)」を定めた古代からのユダヤ法を見てみよう。聖書が定めたとおり、ユダヤ人がイスラエルで所有するすべての土地は、その年だけ休耕となる。ただし、貧しき者だけはその年にすきな穀物を育ててよいことになっている。もっと驚くべきことに、安息の年にはすべての債務が棒引きになるのだ。この一方的な免除がどれだけ魅力的にうつったであろうか、形容することができない。なぜなら、もし借金が払えなかったら、貸し手は借り手をその子息ともども債務奴隷にしてしまうことが当時の常識だったからだ。

支払いが滞りがちな貧しいユダヤ人の靴職人にとって、この安息の年はまさに神の恵みだ。しかし貸し手側の立場にたてば、そうは思わないだろう。なんで、ちょうど7年目で約束を反故にされることがわかっていながら靴職人にカネを貸さなければいけないんだ? 当然のことながら貸し手は、仕組み逆手に取った。貸金が確実に返ってくるだろう、安息の年の翌年に貸し付けを行い、逆に5年目や6年目にはサイフのひもを緩めなかったのだ。資金不足による窮状があまりにひどいため、(ユダヤ人ラビである)大賢人ヒレルに改革がまかされた。

彼は、prosbul と呼ばれうる解決策を出した。これにより貸し手は、先手を打って「この借金は、安息の年における棒引きの対象にならない」と法廷に訴え、そして債権を譲渡することができる。取り立ては以後、裁判所が行う。形式上、法律を変えたことにはならないと同時に、貸し手は、理不尽なリスクを背負うことなく安心して貧しい人々への与信を行うことができる。

ところで、休耕に関する法は何世紀にもわたってそのままにされていた。しかしここにも、抜け道が見つかったのだ。それは heter machira と呼ばれる。ユダヤ人は、一時的にその土地を非ユダヤ人に「売却」して、安息の年も耕作を続けることができる。そして年明けにすぐ「買い戻す」のである。この抜け道のおかげで、いまもイスラエルの農業は活気を保つことができたのだ。

問題は、そのような行為は法の精神に反する悪の道である、と考えて拒否したイスラエルの敬虔なユダヤ人がたくさんいるとういことだ。彼ら伝統主義者は、とても貧しい人たちだ。じつは今年は安息の年なのだが、イスラエル最下層のユダヤ人たちは、非ユダヤ人の持つ土地で育った作物しか口にしたくないので、2倍か3倍の値段を払って輸入食品を食べている -- すべては、イスラエルのもっとも貧しいユダヤ人を救う目的の法を守らんがため、だ。

こういう「いい子ぶりっこ」の法律が、どうぶつたちを苦しめることはない、とお考えだろうか。

1973年にできた「絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律(ESA:Endangered Species Act)」を見てみよう。動物、植物のみならず、その生息環境までを保護する法律だ。経済学者のディーン・リュエックとジェフリー・マイケルは、東部ノース・キャロライナの古い松林に生息する保護対象鳥類「ホオジロシマアカゲラ」に対して、ESAがどういう影響を及ぼしたか測定することにした。1000ヶ所以上の私有の森林地における材木生産を調べることで、リュエックとマイケルは明確な傾向を見出した -- 土地の所有者は、自分の土地にアカゲラが喜んで住みそうな森林ができて保護区域になりそうだと予感すると、すぐにぜんぶ切り倒して材木にしてしまうのだ。材木価格が低かろうが、関係ない。

これはまさに Boiling Spring Lakes で2年前におきたことだ。AP電によると、「こんもりとした素晴らしい松林があったはずの道の端には、もう、ちぎれた茶色の樹皮しか残っていなかった。」 悲しむべきかもしれないが、ESAによって与えられた逆インセンティブを考えてみれば無理もないだろう。二人の論文には、National Association of Home Builders が発行した1996年版のガイドブックが引用されている。「地主によって、ESAの問題に煩わされないための一番良い方法は、その土地をけっして保護鳥類が棲まないような状態に保ち続けることなのです。」

ESAの目立つ欠点のひとつは、ある種を保護対象に指定してから、何か月も何年もしてからその「重要保護区域」が公式に指定されることだ。この猶予期間のあいだに、土地開発者も、環境保護論者たちも、公聴会で意見を述べることができる。じゃあ、何がおきるのだろう?

アカスズメフクロウの窮状を調査した最近のワーキングペーパーで、経済学者のジョン・リスト、マイケル・マルゴリス、そしてダニエル・オズグッドは、アリゾナ州トゥーソンの地主たちは自分の土地が「フクロウのための保護地」と指定されるリスクを犯すくらいなら、先をあらそって開発をしてしまうことを明らかにした。彼らは「ESAがまさに種を救済するのではなく絶滅に追い込んでいるといえる確かな可能性」を論証しようとしている。

てことは、絶滅危機種や、貧しい人や、障害者を救おうなどという法律はすべて失敗するということなのか? もちろんそんなことはない。しかし、四方八方から救いの手 -- 最近なら住宅ローンによる災難からの救済、健康保険コストや税金の軽減 -- を求められる政府、そしてこれらの問題をかならず解決するよと毎日約束している有望な大統領候補者たちを目の前にして、勝利した候補者には「善いこと」をする前に再考する(ひょっとしたら八回、十回考え直してもよいくらいだ)クセをつけてもらうべきだろう。だって、もしもこの世にワシントンという場で作られる法よりもさらに協力なものがあるとしたら、それは「意図せざる結果の法(則)」に他ならないのだから。

(了)