じゃあアウトローや暴走族はアスペルガーなのか?

なんだろうこの違和感。

【1498】曖昧な対人関係を理解できずトラブルを繰り返す部下は病気でしょうか
http://kokoro.squares.net/psyqa1498.html

会社でこんな人がいたら大迷惑であろうことは想像がつく。私が気になったのは、この人に対して「発達障害」とか「アスペルガー」とかいった診断が下されていることだ。

この人が、自分の奇矯なふるまいを正当化するために述べているロジックを以下にまとめてみよう:


−C社は味方だと思ってつきあってきたが、少し前にC社のDさんに「おたくの対応ちょっとおかしくない?」と言われた。これは裏切りだ。今はC社は敵だから怒らせても構わない
−敵になった人はとことん怒らせないと気が済まない。敵と話をしているとイライラして我慢がならない
−だからC社に電話したときは、初めから怒らせてやろうと思っていた

−「味方だと思っていた」人からの、私から見ると些細な発言によって相手を「敵」だと見做し、そうするととにかく相手を怒らせることに意識がいってしまう
−「曖昧な関係」「判断を保留」という言葉の意味がまったくわからない、敵と味方以外にどんな関係があるのか、という返答でした。
−「味方に裏切られたから敵だと思うという僕の感情の動きは間違っているんですか」「僕の感情を否定するのですか」

私たちは、このようなロジックに従って生きている人たちのことを知っている。それは、暴走族やヤクザ、いわゆるアウトローの方々だ。

べつにそういう知り合いがいるわけではない(笑)。しかし上記のロジックを、すこし変換してやれば、これはそのまま「実話ナックルズ」に出てくるインタビューの一部と見なしてもおかしくない。

−「おたくの対応ちょっとおかしくない?」と言われた。これは裏切りだ。→ ナメられたらこの稼業は終わりなんで、そういうのオレ絶対ゆるさないんで
−敵になった人はとことん怒らせないと気が済まない。 →やるときはオレ徹底的にやりますよ
−敵と話をしているとイライラして我慢がならない →スジ通さない奴いるだけでオレもう絶対許せないんですよ
−だからC社に電話したときは、初めから怒らせてやろうと思っていた → やる時にはチマチマ待ってなんかいられないんで、もうこちらから仕掛けますよオレ
−「曖昧な関係」「判断を保留」という言葉の意味がまったくわからない、敵と味方以外にどんな関係があるのか、という返答 → ヌルい生き方している奴って最低だと思うし。おれ、とことん白黒つけますから。ダチだったとしても、裏切ったら絶対許さないっていくかとことんツメますよオレ
−「味方に裏切られたから敵だと思うという僕の感情の動きは間違っているんですか」「僕の感情を否定するのですか」 → スジ通しているのはオレのほうでしょ? なんでスジ通しているのにアヤつけられるのか、全然理解できない

彼の課長への返答は、社会人として不適切な考え方、反応の仕方であることは確かだ。

しかし、私が変換したようなボキャブラリーを彼が身につけたとしたらどうだろうか。そしてそのようなモノイイ(スジを通すことの価値の強調、ナメる/ナメられるという二分法、裏切りへの報復)を、彼が課長との対応で行ったとしたらどうなっただろうか。

すくなくともこの課長は、彼をメンドくさい人だとは思っても、病人のような「弱者」として扱うことはなかっただろう。このメンヘル相談室(なのか?)に相談を持ち込むこともなかっただろう。会社での処遇はともあれ、「まったく理解できない人」というレッテルを貼ることはなかっただろう。

なぜなら、彼と似たような人間類型を、私たちはすでに共通理解として持っているからだ。ヤクザやチンピラのようなアウトローや、暴走族や右翼がそうであるような社会からのはぐれ者であれば、このような振る舞いをするだろうことが想像「可能」だからだ。

- - - -

実話ナックルズ」に掲載された、あるアウトローへのインタビュー記事を読んで、印象に残ったことがある。

構成作家(インタビュアー)いわく「こういう人たちは、ある一言が導火線となって爆発することがあるから、話をするときにはとても緊張する」と。

これは、「味方」だと思っていた人間が「敵」と認定されたときの瞬間である。自分がナメられた、尊厳を傷つけられたと思われたときの咄嗟の反応である。

そしてその場合、曖昧にすませておくことはせず、即座に「スジ」を通すことを要求するのも彼らの特徴である。

では林医師は、ナックルズのインタビューを読んで、「非常に硬直した対人関係です」「アスペルガー障害の傾向がみられます」などと診断するだろうか。三鷹スペクターの三代目特攻隊長のまわりの人に対して「明確な言葉でお話しになることで、トラブルを避け、Aさんの能力を引き出すことが出来るはずです」などとアドバイスをするのだろうか。

どうもおかしい。

ここでの問題は、課長の下についた「彼」が、アスペルガー障害を持っていること、そのものではない。彼が「敵/味方」「感情的に自然・不自然」という物語をすりこまれていることなのだと思う。

たとえば、その「彼」が尊敬する人物や著者が「人間関係は曖昧なものだよ」という別の物語を述べたとしたら、次の日から「人間関係は曖昧でなくては*ならない*」と彼が思い込み、仕事上の関係で本来なら強く主張すべきときにまで無理にヘラヘラし続けるようになる、という事態も十分に想像できる。相手のことを「断定しない」ことに関して、頑固なまでに一貫した態度をとるようになるかもしれない。

「コンピューターの様に扱うべし」というアドバイスは、別の意味で正しい。課長さんが長期的にとりくむべきは、彼のメモリにインプットされている不適切な「プログラム」を、より害のすくない「プログラム」で置き換えることなのだ。

どれであってもプログラムはプログラムなんだから(笑)、柔軟性にかけたものであることは確かだ。しかしいくつかのプログラムのなかで、周囲への危害が最小化されるものもあるはずだ。

それこそが、マネージャーに許された「人を育てる楽しみ」ってやつなんじゃないですかね。って何年かかるか知りませんけど(笑)