仲正昌樹

『「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言』読了。最後の章を読んで、「匿名のアイロニストは成立するか?」という疑問を抱いた。

仲正が、北田が論難するようなシニシズムに陥らないですむ理由には、彼が自分の名前で発言しているからという点も大きい。北田が分析の俎上にあげている2chは、匿名の掲示板であり、ほとんどは「名無しさん」の書き込みである。匿名の書き込みが、北田の言うように、シニシズムから(アイロニカルな)没入に至るからといって、実名のカンバン掲げたプロの売文業者が同じ運命をたどるとは限らない。

では、2chのような匿名メディアに身を寄せつつ、仲正の言うようなアイロニストたることはできるのだろうか。この本でとりあげられているアイロニストは、ソクラテスを含めてすべて実名で発言するものばかりである。発言者のもとに正しく反応がフィードバックされる回路が開かれているのである。「アイロニストはいつも嫌われる運命にある」とはまさにそういうことだ。しかし、嫌われたとしてもそれを無視して「なかったこと」にできる、そんなテクノロジーが存在する場合、人はアイロニストたりうるのだろうか。なんとなく、難しい気がする。