モヒカンの論理的な帰結

相手がモヒカンであれば、

>情緒的なやりとりよりは情報の交換を重視する。
>社交辞令は抜かして端的に論点を述べることが望ましいと考える。
>正しい情報に対して尊重する態度を持つべきである。

という態度を持っていることが想定される。

であれば、その人に対して「あなたはアスペルガーです」という正しい情報、すくなくとも自分が正しいと思っている情報を与えることには、何も問題がない。「おお、そうだったのか、私に関する正しい情報を与えてくれてありがとう」で終わりである。

つまりそれは、モヒカン的な態度を、自分自身に対してまで適用可能かどうかをテストしていることになる。

もし他人に対してはモヒカン的にふるまい、自分に対してはモヒカン的でない(=そんなことを言うのは失礼だ、といった「内容」よりも「礼儀」に基づいて反応する)のであれば、それは偽モヒカンであり、矛盾している。

「あなたは今、矛盾していることをしましたね」と論って、「ほら、こういうことを言われると不愉快に思うことってあるでしょ、だったら他人に対しても、ちゃんと礼儀をわきまえて、怒らせないような話し方をくふうちましょうね」と教え諭して一丁あがり。モヒカン卒業だ。

もしモヒカンであり続けたいのであれば、「あなたはアスペルガーです」という指摘に対して、「病気の名前で呼ぶなんて私に失礼だ」と言ってもいけないし、「病気で苦しんでいる人に対して失礼だ」と言ってもいけなし、また「そんなこと言っているお前はどうなんだ」と言い返してもいけない。

>発言内容こそが重要であり、発言した人物は重要ではない。
>発言した人物によって受け取り方が変わるような情報であれば、その情報にはそもそも価値がない。

のだから。

可能な答はただ二つ、「私はアスペルガーである」もしくは「私はアスペルガーではない」である。

>正しい情報に対して尊重する態度を持つべきである。
>ミスを指摘すること、ミスを指摘されることは悪意的なことや失礼なことではなく、間違った情報を訂正する大切な行為であると考える。

のが、モヒカンの定義であるからだ。