さいごに

めんどうくさいので、モヒカンとアスペルガーは、合体して「モヒペルガー」と呼ぶことにする。

数年前、あるメーリングリスト上で「モヒペルガー」さんと対決したことがある。その人は、独自の固着した論理をふりかざし、場の空気もよまず、他人の会話の展開にかまわずにそれを押し付けてくるので、ほぼ全員から総攻撃されていた。にもかかわらず、彼は激昂することなく、かといって自分の無礼をわびるでもなく、淡々と自分のロジックを書き連ねていた。

その彼が、数ヶ月にわたる居心地の悪い「バトル」のあいだ、いちどだけ他人の指摘を受け入れたことがある。なにを隠そう、私の指摘だ。詳しくは書けないが、「あなたのAという記述は、Bという論点をサポートすることになるが、あなたが次に書いているCという主張には結びつかない。一歩、飛躍があるのではないですか?」という形式の指摘だと考えていただきたい。

また手前勝手なこといってくるだろうという私の予測を裏切って、彼は「すいません、確かに論理が抜けていましたね。私のミスです」という殊勝なあやまりかたをした。普段の粘着コマッタちゃんぶりからすると、こちらが拍子抜けしてしまったくらい、あっさりと。

私のまわりの人は、「Aではない」「Cではない」とか「Cという考え方は、まじめにやっている○○さんに失礼だ」といった類の「反論」を彼に投げかけていた。実際には反論という形式を借りた新たな「立論」である。そういったものに、このモヒペルガーさんは屈することを一切拒否していた。

ここで私は、あらたなソーシャルスキルを得ることができたのだろう、と述懐する。モヒカンもアスペルガーも知らなかったが、「モヒペルガー」な相手には、「モヒペルガー」の立場に立って議論をするとうまくいくということだ。

「モヒカンの論理的な帰結」で書いたことは、単にアタマでひねり出したことだけではなく、このような私の経験からしぼりだされた知恵もふくまれていると考えて欲しい。こいつはまた病気の名前を出しやがって、と「釣られる」のも結構だが、「病識」を持ってもらうほうが先なのでは、と私が書いた裏側を読み取っていただければ幸いである。

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ちなみに、はてブでタグに mohican とか書いている人は馬鹿ですか? 日本語の「モヒカン」は、英語では "Mohawk" と記述します。

なーんて最後はモヒペルガー・フィニッシュを決めて見ますた!