ニューヨークタイムズの従軍慰安婦の記事

池田信夫ブログで知ったのだが、またぞろ慰安婦問題がさかんになっているらしい。しかも今回は米国で。

問題となっているニューヨークタイムズの記事を読んでみた。軍の関与、いわゆる「狭義の強制」については、単に「歴史家がそう述べている」というだえにとどまる。それ以外は、慰安婦の証言をエピソード的に並べた記事である。

英語が不得意な人もいるだろうから、翻訳してみた。(なお、本文には写真の使用に関する訂正があるが、あまり関係がないと考え省略した。)

世界の日本に対する認識を知る上で、参考にしていただければ幸いである。
誤訳などの指摘があればコメント欄にて。

元リンク:http://www.nytimes.com/2007/03/08/world/asia/08japan.html?pagewanted=1&_r=1


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歴史の否定は、過去の日本性奴隷の傷口をひろげる
(Denial Reopens Wounds of Japan痴 Ex-Sex Slaves )

ノリミツ・オオニシ
2007年3月8日
訂正あり

オーストラリア・シドニー 3月7日 ---- 1940年、ホテルの給仕として働いていた 23才のWu Hsiu-mei は、台湾人の上司から日本人の官憲(officers)に引き渡された。彼女をふくめた15人の女性が、中国南部の広東省におくられ、性奴隷とされた。

ホテルのなかには、いわゆる「慰安所」が設けられ、運営は台湾人がしていたが、日本の軍人だけを客としてとっていた、と Wu 氏 は語る。一年以上、日に20人以上の日本人と性交を強要されたという。中絶を繰り返し、子供の産めない体になった。

長くくすぶっている日本の戦時性奴隷の問題は、先週、あらたな注目をあびることになった。日本の首相、安倍晋三
女性の強制奴隷化における軍の関与を否定したのだ。戦後生まれとしてははじめての首相である安倍のこの発言は、性奴隷がかき集められた国々の一部である、中国、台湾、韓国そしてフィリピンからの公式の抗議をひきおこした。

この反発がふたたび照らし出しているのは、影響力が中国に移りつつある地域での、まだ解決されていない日本の歴史問題である。そして論争は、東アジアを混乱させてきた歴史問題には踏み込むまいという態度をずっと取ってきた、アメリカをも巻き込むことになった。

Wu 氏は水曜日、日本の領事館の外で、自分の経験を語った。遠まわしに「慰安婦」と言われてきた彼女と二人の女性は、ここで、歴史家によれば20万人もの女性が被害にあったという虐待に対する責任を日本が認めなかったこと抗議していた。

90才になる Wu氏、ソウルから来た 78才になる韓国人、アデレードから集まった 84才になるオランダ系オーストラリア人は、旧日本の性奴隷に関する国際会議に参加していた。安倍氏の発言を聞いて、怒りに震えた三人は団結した。

「私は日本の官憲にさらわれた、検査のためと軍医に服を脱ぐよう強制され、それから連れて行かれたんだ」 -- 台北から一日がかりのフライトで火曜日の夜にシドニーに降り立ったWu氏は述べた。「なぜ安部は世界に対してこんなウソをつくのか?」

安部氏は、ナショナリストとして、日本の戦時中の過去を否定することでキャリアを築いてきた人物だ。彼がこのコメントを発したのは、昨秋のアメリカ議会における民主党の勝利をはじめとした、いくつかの出来事に対応するなかでのことだ。下院では、日本が女性に対しておこなった性的虐待を認識し謝罪することを求める非拘束決議が提案されているが、この勝利によって、さらにはずみがついたのだ。

安倍氏に近い人物たちが、女性を性奴隷にした際の日本軍の関与を認めた1993年の政府声明を見直すようはたらきかけるなか、三人の被害者たちが、先月、米国議会で証言をおこなった。

月曜日には、安部氏は1993年の声明を護持する意向を示したが、肝心の軍の関与については否定したままだ。家屋に押し入り人さらいをしたというような強制はなかった、というのだ。

彼は、民間業者が女性に強要をしたのであって、下院決議案は客観的な事実に基づいたものではない、かりに決議されたとしても謝罪することはないとも付け加えた。

決議案は、若い女性を強制的に性奴隷化した帝国陸軍に対する責任を、明瞭かつ明確なかたちで、公式に認め、謝罪し、そして受容することを日本に求めている。

この決議案を主導している、カリフォルニア州民主党員であるマイク・ホンダ議員は、電話取材に対し「安倍首相は、実質的に女性がウソをついていると述べているのと同じだ」と述べた。「日本の歴史家や慰安婦の証言を目の前にすれば、彼が正しいと信じることは難しい」

日本の歴史家たちは、将校たちの日記や証言、そいて米国などの国から取り寄せた公式文書をもとに、アジアにおける日本の植民地と占領地でおきた、若い女性に対する強制、詐欺、誘引、ときには誘拐にいたる事態に対して、軍が直接または間接的に関与してきたことをきちんと示すてきた。

彼らによれば、20万人にのぼる女性が、軍事活動に不可欠な要素とされてきた慰安所で働かされたという。

安倍氏はたしかに民間業者による強制を認めている。しかし与党である自民党内の側近たちには、彼女たちを慰安所にみずから職を求めていった売春婦にすぎない、と断じるものもいる。政府の公式文書で、女性の斡旋における軍の関与をしめすものはない、というのだ。

歴史家によれば、軍が慰安所を設置したのは兵隊の士気をたかめるためだが、同時に現地女性に対する強姦や、性感染症の蔓延をふせぐ目的もあったという。

1995年、女性に対する補償をするための民間基金が集められたが、彼女らの多くは受け取りを拒否した。なぜなら、これは政府が直接の責任をとることを避けるための方策だと考えたからだ。給付を受け取ったのは285人だけである。基金は今月に閉鎖されることが決まっている。

軍の直接関与をしめす証言は、女性自身の口から語られた。

「謝罪こそが、私たちがもっとも求めているものだ。個人ではなく、政府による謝罪だ。それがあれば、尊厳を取り戻すことができる。」84才になる Jan Ruff O’Herne は述べる。彼女は先月、議会で証言したばかりだ。

Ruff氏はオランダ領東インド諸島であったジャバ島で家族と暮らしていたが、この島に1942年に日本が侵略した。彼女は二年を捕虜収容所ですごした。1944年のある日、日本の将校が訪れ、独身の女性を一列にならべて、そのなかから10人を選んだ。当時21才だった Ruff 氏も選ばれた。

「最初の夜は、高級将校だった」と Ruff 氏は言う。「なにもかもお膳立てされていた。軍医が定期的に家をまわり、性病の有無を確認した。医者は私を診察する前に、私を強姦した。すべて、仕組まれていた」

歴史家によれば、植民地において女性を獲得するために、日本軍は現地民と結託していて、時には完全に依存していることもあったという。

Gil Won-ok によると、いまは北朝鮮の首都になっている平壌で、当時十代だった彼女は職を求めて日本軍の基地のそとに並んでいた。韓国人の男が、工場の仕事を紹介してやるからと近寄ってきてが、結果的には中国北東部の慰安所に贈られることになった。

彼女が梅毒にかかり、腫瘍ができた時、軍医は彼女の子宮を除去したとGil氏は言う。

「15才にして、もう心は死んだも同然だった」と Gil 氏は言う。彼女が16才のときに戦争が終結した。

他の慰安婦とおなじように、Gil氏は子供を産むことができず、結婚もしていないが、一人の養子を取った。現在はソウルで、他の元慰安婦三人とおなじ家に住んでいる。

Wu氏は二回、結婚している。そのたびに過去は隠してきた。夫たちは過去を知り、結婚生活は終焉した。養子に迎えた娘は、Wu氏が自分の過去を公表したことに対して怒っている、と彼女は言う。

Ruff氏の話を続けよう。慰安所からジャバ島にある捕虜収容所へと戻ってきた彼女に、このことは黙っていろ、と両親は
誓わせたという。修道女になることを考えた Ruff 氏に、ローマ・カトリック教会の神父は「こういった状況では、ならないほうがいいだろう」と助言した。

この収容所で、彼女は将来の夫となる男性、Tom Ruff と出会う。彼はイギリス兵で、日本の撤退後に、収容所の護衛をするために派遣されたのだった。彼女は彼に一度、自分の過去を明かした。二人の娘を持ち、オーストラリアに移住した現在よりも、ずっと昔のことだ。

「しかし、今また口を開く必要があるのです」 娘のCarolの家で、キッチンテーブルの席についたRuff 氏は言う。「夫にはこのことは言うことができなかった。Tom を愛していたし、結婚も住む家も欲しかったから。家族も、子供も欲しかった。しかし性生活だけはいやだった。彼はとても我慢してくれた。いい夫たったけど、それについて話すことができないから、つらかった」

「お父さんに話すこともできたじゃない」と55才になる娘のCarol が言った。

「だから、いつも言っていることがあるの」Ruff 氏は続ける。「彼には一度だけ告白した。その後は、一度も話していない。この世代には、あまりにも重過ぎる話題だから。お母さんはどうしていいかわからなかった。お父さんも、そしてTomもそうだった。みんな、ただ黙っているだけだった。いまなら、すぐにでもカウンセリングを受けられるでしょう。」

「これはいいことよ」と Carol は言った。

「自分のなかに、これだけの重さを抱えていくことがどんなことか、想像もつかないでしょう。周りに対して叫びだしたいのに、それができないということが」 Ruff 氏は言った。「でも、Carol にこう語ったことは覚えているの。いつか、私はこのことを公表する。そうすれば、人々は聞いてくれるはずだ」


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韓国を訪れた日本人学生が、日本軍の性奴隷とされた韓国人の写真をながめている写真

[写真2葉]
シドニーで開かれた会議で発言する、日本の性奴隷の犠牲者たち。(上)左から、台湾の Wu Hsiu-mei、ジャバ出身のオーストラリア人 Jan Ruff O’Herne。(下)韓国人の Gil Won-ok。

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東京の国会前でデモをする人たち。プラカードには、強制連行における日本軍の関与を否定した、安部晋三首相の先週の発言を非難する内容が書かれている。

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安倍の側近たちが、戦時の性奴隷制度を認めた1993年の政府声明を見直すようにはたらきかけている。兵士たちによる騒乱を恐れたことから、日本はアメリカ兵のために、戦後の占領初期に日本人の売春婦をあつめた売春宿を各地に作った。このことが、アメリカのこの論争に対するとりくみを一筋縄ではいかないものにしている。

(了)