マックスウェーバー

当方とおなじ社会人で、最近になってマックスウェーバープロテスタンティズムと資本主義の精神」(いわゆる『プロ倫』)を読んだというひとに二人も出会った。どちらも30代後半で、あまり思想や哲学、社会学にのめりこんでいたとはいえないタイプである。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

たった2個のサンプルから判断してしまうのも問題だが、私はここで、この古典が広く読者を獲得する理由として、『プロ倫』は「癒し系」の書物として読まれているのではないか、という仮説を提示したい。

新人のころと比べて社会人としての責任が格段に重くなってくる30代は、同時に資本主義の『鉄の檻』(プロ倫における表現)の不自由さをもっともきつく感じる時期でもある。ああ、なんで俺はこんな朝から晩まで仕事に忙殺されなければいけないんだ、と遠い目になってしまう彼らに、いっときでもあれ、「鉄の檻は最初からあったわけではない。それは、歴史と社会の偶然によって生まれたものなのだ」というプロ倫の説明(←すごい要約してますが)は、灰色の日常を一瞬だけわすれさせてくれる一服の清涼剤としてはたらくのだ。だから、この本は日本のサラリーマンをふくめた知識層に、永く読みつがれる名著となったのだ。

... みたいなことを、すでに誰かが言っていたりすると面白いんだけどなぁ。あきらかにみんな、「宗教」の部分はすっ飛ばして読んでいるみたいだし。